この記事について

将来への不安から貯蓄を優先し、旅行・趣味・推し活など、やりたいことを先送りしている方、お金を使うことに罪悪感がある方に向けて書いています。

先に書いておくと、「若いうちは貯金せずに散財しろ」という話ではありません。将来への備えや貯蓄そのものは、自分も大切にしています。ただ、貯金して結局何がしたいのかを、一度考えてみる価値はあると思っています。

若い頃から、お金と時間を色々なことに使ってきた

若い頃から、交際費、読書、自己学習、趣味、旅行など、さまざまなことにお金と時間を使ってきました。会社の人との飲み会には、自費でもよく参加していました。顧客との飲み会でも関係性が深まり、そこから仕事の依頼につながることもありました。

マネジメント関連の本や技術書を読み、休日にも自己学習に時間を使ってきました。こうした積み重ねが、能力の差につながったと感じています。

富士山にも一度登頂し、山頂から御来光を見た経験があります。

こうして振り返ると、若い頃の支出について、明確に後悔しているものはあまりありません。もちろん、何でも使えばいい、散財すればいいと考えているわけではないのですが、さまざまな経験が、今の人間関係や雑談の引き出し、人としての厚みにつながっていると感じています。使ったお金を単純に後悔するのではなく、経験をエピソードとして自分の中に残してきた、という感覚です。

「やりたいことリスト100」を見て考えたこと

少し前に、定年退職後に「やりたいことリスト100」を実行している人のYouTube Shortsを見ました。その人はリストの一つである富士山登頂に挑戦していたのですが、体力の限界から途中で断念していました。

その動画を見て、自分がもし若い頃に登頂していなかったら、と考えました。年齢を重ねてから挑戦していたら、同じように登頂できたかどうかは分かりません。仮に失敗したとしても、若い頃なら再挑戦できる体力や時間があったはずです。

経験には、後からお金を払えば同じ条件で再現できるものと、年齢や体力、環境によって同じ条件では挑戦できなくなるものがあると思っています。富士山登頂は、まさに後者でした。

経験の価値は、何かに役立ったと証明できることだけではない

飲み会が仕事につながったことや、読書が能力向上につながったことは、自分の実体験として確かにあります。ただ、これをすべての人に同じ効果があるとは思っていませんし、すべての経験を投資対効果だけで説明するつもりもありません。

富士山の御来光は、特に何かの役に立ったわけではありません。それでも、あの景色を見た経験は、今でも自分の中に残っています。経験の価値は、何かに役立ったと証明できることだけで測るものではないと思っています。

それでも、将来への備えは続けている

ここまで経験への支出の話を書いてきましたが、将来への備えや貯蓄そのものを否定しているわけではありません。自分も、一定の生活防衛資金は確保していますし、毎月の積み立ても基本的に継続しています。FIREを目指している方や、明確な目的を持って貯蓄している方のやり方を否定する意図もありません。

自分の場合、やりたいことに資金が必要なら、そのために貯めます。特に目的がなく資金に余裕があるときは、経験への支出に回すこともあります。目的を決めて貯蓄することと、目的が曖昧なまま貯め続けることは、似ているようで違う話だと思っています。

貯めること自体が、目的になっていないか

問題だと思っているのは、やりたいことがあるのに、貯蓄を優先して経験を先送りし続けてしまうことです。目的が明確なら、貯めることには意味があります。ただ、気づかないうちに、貯めること自体が目的になってしまっていないか、一度考えてみる価値はあると思っています。

やりたいことのために貯蓄することと、やりたいことを貯蓄のために先送りすることは、見た目は似ていても中身は別物です。後からお金を払って実現できることと、体力や時間などの条件がそろっているうちにしかできない経験があることも、合わせて考えておきたいポイントです。

まとめ

貯蓄と、経験への支出。どちらか一方を選ぶ話ではないと思っています。将来への備えを続けながら、やりたいことを必要以上に先送りしないこと。この両立が、自分にとってはちょうどいいバランスです。

貯金して何がしたいのか。一度、自分自身に問いかけてみてもいいのではないかと思っています。